概要

玉泉寺概要

名称 大佛山 玉泉寺
所在地 〒444-0904 愛知県岡崎市西大友町字寺山46
Tel/FAX 0564-31-6520
メール contact@gyokusenji.jp
宗派 真宗大谷派(東本願寺)

アクセス


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由緒

往昔大友皇子の創立白鳳山洞導寺と称す。其の縁由は白鳳年大友皇子並びに臣下長谷杢之允信次を召し連れられ三尊の佛像を保護し御舟に乗り給い三河国碧海郡に上らせられ本村に流寓し給う。この三尊の一体は同郡本郷村蓮華寺薬師如来(此の寺は元、西大友村にあり、依て現に字蓮華寺と称するあり然るに往昔故あり本郷村に移転すと云う)一体は同村長谷部大日如来なり。壱体は洞導寺の本尊大友阿弥陀如来是なり。右三尊は天智天皇の御作なり。皇子ひそかに沙門に入り堂宇を創設し右の佛を崇敬し給うと伝風せり。後に天台宗となる。明応年中、釋定了真宗の教法に帰依し本山第八世蓮如法主より弥陀の絵像を頂き玉専坊と唱う。明和八年辛卯十二月十一日祝融の災皆罹り宇堂記録等悉皆焼失せり。此の火炎の中より仏像を半ば灰燼に帰す。当時佛師に命じ再箔す。現に其の灰の一筐を存在せり。後玉泉坊と名ずく。直嘉永年中坊号を改め玉泉寺と称す。

小針一号古墳(昔)

【小針一号古墳(昔)】

小針一号古墳(現在)

【小針一号古墳(現在)】

小針一号古墳看板より引用

【小針古墳と大友皇子(第三十九代弘文天皇)塚 】
このあたり一帯は往時大小十四墓の古墳があって壮観を呈していたが 
明治以降開墾のため破壊され この柵内の小高い円丘俗称大塚のみが原形を保っている 
もとは前方後円墳で周囲には円筒埴輪が巡らされていたが 今は後円部のみが残存している  
この古墳は往古から大友皇子の塚だという伝説がある すなわち今を去る壱千参百年の昔 
天智天皇の崩御後 皇太子大友皇子が近江の大津宮で政治をとったが 
天皇の弟大海人皇子(第一十代天武天皇)が吉野で挙兵し近江を攻め 大津宮は兵火にあって焼けおち 
大友皇子は敗れて自害した(西紀六七二年御年二十五才)これを壬申の乱とよぶ(日本書紀)  
しかるに西大友町に鎮座する「大友天神社志」によると 「大友皇子は自害したと言いふらして 
ひそかに一族の者数名と三河にのがれ 大海人皇子の謀反を怨み悲憤の涙に暮れたが 
ついにこの地で崩じ小針字神田に葬られた 従者長谷部信次が神社を創建し皇子の霊を祭祀した 
これが大友天神社である 大友という村名もこれに起因する」 という由緒がある  
この塚は現在小針町字城跡一二三番地市川金平氏の所有で 同家で先祖代々鄭重に守護し承っている  
なお大友皇子は明治三年に弘文天皇と贈り名され 御陵は大津市に建てられている。

昭和四十六年十二月 名古屋菱重興産株式会社建之

玉泉寺の歴史について思うこと

玉泉寺の由緒については不確かな点もあるが、玉泉寺の字名(あざな)が寺山(古来より寺があったことを示す)であり、その西側の字が蓮花寺(現在の西本郷町にある寺院、水害により移転)、その西側は堂後(蓮花寺本堂の後ろ)という字名が現存している。またその200m西に佛供田(ここの田の西には豊富な湧き水があり米が不作になりにくい為、佛様へ供物するための田とした)という字がある。これらの字名から考えてみても、玉泉寺の歴史の深さが感じられる。
真宗の一僧侶として確認しておきたいことは、真宗の寺とは今が大切であるということである。歴史や格式などに埋没することなく、今、寺が開かれた念仏の道場になっているか否かが問題である。

境内の案内

本堂

玉泉寺本堂

本堂内陣

玉泉寺本堂内陣

鐘楼

玉泉寺鐘楼

玉泉寺庭

書院

玉泉寺書院

納骨堂(蓮華堂)

玉泉寺納骨堂

住職からのご挨拶

玉泉寺住職

玉泉寺住職

住職  神谷 栄樹

今、寺の存在意義が問われています。
昔の寺は寺子屋(現在の学校)や過去帳管理(現在の役所)、寄合の場(町内の会議)、仏法を学ぶ場(自己を学ぶ場所)、託児所(農繁期など子供を預かっていた)など、様々な役割を持っていました。地域社会にとって、なくてはならない場所でした。
昔は寺の存在意義がはっきりとしていたといえるでしょう。
現在ではほとんどの機能は他に移行してしまい、若い人に寺ってどんなところ?と尋ねると「お坊さんがいるところ」と答える始末です。若い世代にすればあたりまえの答えでしょう。
寺の存在意義が薄れた今、寺はもはや必要ないのでしょうか。
私はむしろ今こそ寺が本来の役割を担うべき時代であると思います。
そもそも真宗の寺院とは、親鸞聖人の教えを通して自己を学び、感謝を持って人生を生ききる人間になっていく場(道場)であります。
現代の日本は物質的にはとても豊かですが、自殺者や心の病に悩む人は増える一方です。家族や地域の絆が弱まる中、思わぬ災害や災難に出会いひとり孤立感を深めることもあるでしょう。人として生きにくい時代であると言えます。今こそ真宗寺院として原点回帰し、生きにくい時代を共に悩み相談し合っていく玉泉寺でありたいと考えています。